猿飛検定

猿飛検定について

TOSS猿飛検定 向山洋一からのメッセージ

以下の趣旨から、猿飛がなぜ必要なのかを考えるブログを設けることにしました。

皆様の書き込みをお願いします。

向山先生は以下のようにのべています。(2016年10月18日中央事務局会議)

「猿飛はなぜ必要なのか。論議をしてほしいです。ものまねはどのくらいやるでしょうか。

やすきよは、漫才の猿まねを何十万回やります。なぜまねをするのでしょうか。
その意義の原理からの議論をはじめていきたいのです。喋り方や話し方とか、落語家は真似をします。なぜ必要なのか。そういった論議です。

私たち教師は、まねは一つの授業をするのでしょうか。出だしのフレーズだけでいいのでしょうか。
自分の授業でどう役立っていくのか。教師の立場から教育学的視点からの議論です。
私の真似、他にも谷先生や伴先生、野口先生や有田先生の真似も考えられます。

ものまねはなぜ大切か。何が学びだったのか。
まねと言っていますが、言葉の真似とふるまいのまねとは違います。

真似の追求としたら、言葉、言い方順序とか。そうしたことも含めて、様々な議論をしていきましょう。」

猿飛検定の今日的意味(吉永順一氏)

三年園(えん)を窺(うかが)わず
庭に下りる暇もないほど、学問に没頭するさまを指す。

★作家宮城谷昌光
宮城谷の30代後半はそうした日々を送った。
目を開かされたのが、白川静の『中国古代の文化』だった。この本を読めば読むほど、古代の風景が頭の中に広がり、想像力をかきたてられた。こうなると、中国古代の勉強が面白く、テレビも見ずひたすら部屋に籠もり、3年間、外に出かける記憶がほとんどない。長時間座り続けたせいで、足に水がたまり、病院で抜いてもらった。白川氏がいなかったら、宮城谷昌光という作家は誕生しなかった。
(『窓辺の風』宮城谷昌光 中央公論社)

★遺伝学者の柳澤桂子氏
アメリカの大学院で学んだとき、毎日論文をたくさん読んでくる宿題が出る。今のようにコピー機もない時代だった。写すほかない。片端から論文をノートに書き写した。パーカーの万年筆を使った。インクがすぐなくなってしまう。いつもインク瓶を持ち歩いた。ペンだこは右手の中指ばかりではなく人指し指にもできた。どれだけの論文を写したかわからない。おそらく1000に近い論文を書き写した。それが日本語で文章を書くことに役立っている。
(『露の身ながら 往復書簡』多田富雄 柳澤桂子 集英社)

★作家北方謙三
17年をかけて完結させた全51巻の「大水滸伝」シリーズ。
北方はこれで第64回菊池寛賞を受賞した。その北方には10年の厳しい日々があった。月のうち10日間くらい働く。それでひと月分の生活費をかせぐ。あとの20日間は書くということを延々とくり返した。その間のボツ原稿が400字詰の原稿用紙を積み上げると背丈を越える。
同窓会に行くと、仲間はみんな一流会社で活躍している。
「北方、何をやっているんだ? 」と聞かれ「小説を書いている」と答えると、肩をポンと叩き「おまえは偉いな」と。その偉いなって言葉の中に、多少の侮蔑と哀れみが入っている。みんなからやめろ、やめろとめったうちにされている頃、父親が「男は10年だ」と言ってくれた。
(『対談集 運命を切り開くもの』北方謙三 福島智 致知出版)

昨日の目玉は「猿飛検定」だった。
挑戦者は寝ても覚めても向山洋一先生を追ったはず。没頭した日々だったはず。超のつく難題に挑戦する。そのことが悦びとなることを「アカデミックハイ」だと懇親会で述べた。
(参考 『内田樹最終講義』技術評論社)

緒方洪庵の適塾の塾生たちがそうだった。
諭吉の自伝にその日々が描写されている。彼らは布団に寝たことがなかった。それくらい勉学に没頭した。
人工知能が話題となる今、猿飛検定はどんな意味があるのか。
その答えは、宮城谷、柳澤、北方の事例の中にある。

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